性被害とフォトエッセイ

こんにちは。最近は中居正広さんの性犯罪についてのニュースで持ちっきりですね。

わたしはこのニュースを見たとき、ただただショックでした。真実がどうなのかはわかりませんが、昨今のSNSではこのようなニュースが出てしまえばそれは真実と同じくらいの影響を及ぼします。現に中居正広さんは芸能界を引退されるほどの打撃を受けています。

それと同時に、元フジテレビアナウンサーの渡辺渚さんがフォトエッセイを出されたことも話題になっていました。性被害に遭ったのにグラビア出せるわけないだとか、仲居くんの件に便乗して売名しているだけだとか、攻撃されている声をよく見かけてしまいます。

誰が誰にどの程度の加害をして、どれくらいのお金を支払って、などの真実はわからないし当事者でないので知る必要も権利もありません。ですが、ここではわたしは一性被害者として性被害者の可能性について考えてみようと思います。

性被害者はグラビアを出せないのか?

この世界に生まれた限り、需要の有無に関わらず誰もが年代を問わずグラビア写真集を出すことができると思います。

なのに、性被害に遭ったかもしれないというだけでグラビアはできるはずないとされています。性被害に遭ったことを隠していれば、グラビアを出したとしてもこんなに文句を言われることはなかったのではないかと思います。

性被害に遭った後は、心が不安定になることが多いらしいです。わたしの場合は、男性が怖くて電車に乗れない日があったと思えば、次の日はマッチングアプリで知らない人にあったりとちぐはぐに暮らしていました。この両極端の行動にはどちらも理由があって、加害者と男性を重ねて怖い気持ちと、わたしはこんなものに屈していないから普通に男性と遊べちゃうもんねという気持ちとあります。

実際に被害後に、「自分が受けた被害は大したことないんだ」と思いたいためか性に奔放になったり被害に遭いやすい場面に自分を曝したりということはよくある話だそうです。

被害に遭ってどれほど時間が経ったとしても、わたしの場合は、おそらくいつまでも引きずり続けると思います。そして、被害に屈してしまった自分がいることが分かっているからこそ、「加害者なんかに屈してないんだぞ」と証明したい気持ちも持ち続けています。

なので、わたしの結論としては、性被害者がグラビアを出しても文句言うな!という気持ちです。性被害を受けた人がどういう気持ちなのかは当人にしか分からないと思います。わたしの考えが他の性被害者と同じとも思いません。誰も何も言わないで、そういう風に考えるんだと受け取れる世界になれるといいな。

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